落語

千早振る(ちはやふる)

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いつも所在なさげにプラプラしている僕は、会話にもしまりがありません。

無駄話というか与太話というか、ダラダラと垂れ流すだけ垂れ流して
結局のところ、何が言いたいのか自分でも分からなくなってしまうのです。

その点、何でも断定できる人は、ある意味うらやましいと思います。
自分の発言に迷いがなく、あたかもすべてお見通しという態度には
男ながらに惚れ惚れする場合があります。

けれど、ある意味と書いたのは
明らかに、君、その情報に踊らさているよという場合があるからです。

いわゆる知ったかぶりですね。

自信満々で話すのは構わないけど
こちらにその意見を押し付けないでねという場合です。

では、両者を隔てるものとは一体なんでしょう。

僕が思うに
それは話し手から聞き手側に回った時の態度次第ではないでしょうか。

自分の考えに自信があることはいい。
そこにプラスして、相手の話を引き受けるだけの度量の深さがあるかないか。
自分と違う意見が出た時に、イエスアンドできるのか全否定してしまうのか。
狭い世界の中で生きている人は、他人の意見に耳を貸すことはありません。
なぜならすべての物語が自己完結しているからです。

ガンダム的にいうと、重力に魂を引かれたオールドタイプの人間です。

かと言って、すぐに意見を変えるような人がいいかといえばそんなことはない。
自分の中の核みたいなもはしっかりとある。
そのうえで、いつもクエスチョンを思い描ける人こそ
柔軟な思考と発想を持っている人なのです。

奇抜な振る舞いをすることがいいと言っているわけではありません。
よくアーティストやクリエイターと呼ばれる人が、あっと驚く作品を生み出しますが
説得力のある作品とは、きちんとした常識と確固たる自信が源にあって
そこにプラスアルファのアイディアが混在している作品のことです。

知識人が、あたかも論客かのように振る舞う態度にいつも違和感を感じています。
ワイドショーに出てくるコメンテーターと呼ばれる人たちが
世の意見を代弁していますよ的な空気に、ちょっと待ってと突っ込みたくなります。

それは単純に僕が天邪鬼だからかもしれません。
でもね、と思うのです。

世界を知るということは、他人を知ることから始まる。
だとすれば、一度はあなたの意見も理解してみようというチャレンジ精神と
そこに経験と勘に基づく選択肢の数が必要で
その数が多ければ多いほど、ポジティブな関係が成立するのではないでしょうか。

根拠のない自信は
好きな異性ができた時のために、それまでどこかに保存していてください。


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