落語

鰍沢(かじかざわ)

夫婦

今から、ちょうど一か月前の今日
シナリオの〆切に追われて、ピーピー泣いていた記憶があります。

というか、あれからもう一か月が過ぎたのかと思うと
いやはや、なんというか時間の流れの早さに驚くばかりです。

「老夫婦が当たり屋になる」という設定のシナリオでした。

何が苦労したって、まず、自分のモノ書き史上
最高齢の登場人物が主人公であったこと。

そして、僕はまだ未婚なので、夫婦の絆というものが分かりません。
加えて、30年も寄り添った夫婦の呼吸なんてどうなっているの?と
我ながら、振り返れば、なんと無謀な設定だったんだろうと思っています。

とはいえ、知らぬ存ぜぬでは、この世界でやっていけないので
そこは、もうあらん限りの知識と経験と想像力を駆使して脱稿させたわけです。

終わったものは終わったものとして、いつまでも余韻に浸っている暇はなく
次回作の構想を練らなければいけないのですが
例によっていつもの如く、まったくもって白紙なんですな、これが。

ま、それはそれとして。

今回は夫婦の話です。

昨日、同級生と電話越しに話していたのですが
夫婦になるためには、法律上、籍を入れる必要があって
それを結婚と呼ぶのであれば、僕たちにその時はやってくるのだろうかと
独身アラフォーが二人して、ハタと考え込んでしまいました。

僕のようにプー太郎の生活を送っていたのでは、そんな機会は訪れないとして
電話越しの友人は、「婚活すべきか、仕事に生きるべきか。それが問題」と
悩みに悩み疲れ、ほとほと参っているようでした。

大恋愛の末に、めでたくゴールインというのが理想なんでしょうけれど
友人曰く、もはや、そこにしがみつく歳ではなくなりましたとさ。

「恋愛と結婚は別もの」という言葉は、既婚者の友達からもよく耳にします。

某占いサイトで、「恋愛偏差値が小学生レベル」と診断された僕は
単純だから、好きな人と一緒にいられるだけで幸せな気持ちになるんですけど
そこに生活臭が混ざった途端、一気に現実世界が飛び込んできて
おめでたい頭の僕ですら、あれやこれやと考えてしまいます。

もしかしたら、「好き」の先に「結婚」があるという願望は
「生」の延長線上に「死」を迎えると思うことに似ているのかもしれません。

あ、決して「結婚」=「死」という意味ではないので、誤解のないようお願いします。

そうではなくて
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」(ノルウェイの森より)と考えれば
「結婚は恋愛の終着としてではなく、その一部として存在している」
なんて言い換えることができるのではないかと思うのです。

ほら、どうだ。
少しは希望が見えてきたか。
まだ、めでたいままか。

この際、めでたいままでいいか。

結婚して夫婦になって、子どもが生まれて親子になって
その時々で、パートナーに抱く印象が異なってくることは理解できます。

でもね。
一生を添い遂げようとして選んだパートナーじゃないですか。
だったらさ、たとえどんな形に変わろうとも、生涯をかけて守ってあげたいじゃない。
そこだけは、忘れないようにしたいなあと、強く思うのでした。

ええ、最後までめでたいですけど、それがなにか?


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