故事成語

類は友を呼ぶ(るいはともをよぶ)

握手

ざっくり半生を振り返ってみると
20代後半から30代前半が、一番つっぱっていた気がします。
それはつまり全身全霊で芝居をやっていた時と重なります。

力の抜き方を知らなかったし
抜いていたらきっと崩れ落ちるだろうとビビっていたのかもしれません。
そのくせ、言うことだけ一人前で、まあ臆病者の遠吠えに見えたでしょうね。

でも今でも、結果の善し悪しは別として
自分が描いていたスケッチは間違っていなかったと思っています。

芸術に正しいとか間違いとかないんですけど
自分がやりたいことをまっとうにやる、という意味で
歩きたい道を歩いていたのかなと。

多種多様なジャンルの芝居が上演されている中で
やっぱり自分の好みに合う芝居というものがあって
よくよく考えると、なんとなく傾向が似てくるんです。

その中でも、どこに一番目を光らせていたかと言えば
強いて挙げるとして、フィジカルに教養のある芝居、ですかね。

何も飛び跳ねたり走り回ったりすればいいってものじゃありません。
(僕は無駄に飛び跳ねたり走り回ったりしていましたけど)

「動かない演技」というのも、しっかりフィジカルを鍛えている証拠で
「動けない演技」とは天と地ほどの差があります。

そこを演出家も役者も理解しているのかなって、いうのがポイントでした。

およそ10年が過ぎて、仮に今、芝居を創るとしたらどうなるのでしょう。
こればっかりはやってみないと分かりませんが
フィジカルにこだわることだけは変わらない気がします

ただ、こだわる場所が変化しているかもしれません。
脚本も作風に違いが見えてくるだろし
演出だって当時のままってことはないだろうし。

10年経てば、人は変わるんですよ。

それは僕が常に変化を求めているからなんだと思います。

一所に落ち着くのがイヤ。
もちろん時間をかけて熟成されるものがあって
それは絶対に必要なことなんですが
慣れとか甘えとか環境に埋没してしまうことを恐れています。

同じ趣味趣向のメンバーが集まった方が
共通の言語を話せますから、やりやすいのは間違いないでしょう。

でもその現状に身を委ねるのではなく
一人の個としてきちんと立つ術を身につけないと。

逃げのための共存共栄ではなくて
まず個があって、その個の連動性を共有しあうこと。

最近はそんなことばかり考えています。

でもね、10年経っても変わらないものもあるんです。

この話、機会があれば続きます。


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