映画の名セリフ

「私はクレメンタインという名前が大好きです」

kettou

出典:荒野の決闘

名は体を表すといいますが
例えばゼミの課題のミニシナリオを書く時も
僕は必ずタイトルをつけるようにしています。

タイトルって、やっぱり重要で
その作品の「顔」になるのだから
どんなに小さな作品でも、きちんと名付けたいのです。

もっとも、僕がつけるタイトルは
中身が想像できないというか、中身と一致しないという
少々残念な意見をもらうことの方が多いです。

一ひねりでいいところを、二ひねりも三ひねりもしてしまうんですね。
だから説明が必要になってしまう。
それって、あまり褒められたことではないのですが
そういう性分なのだから仕方がない。

と、開き直っておきます。

もちろんコンクールに出すような作品の場合は

タイトルそのもので落選することはないのですが
それでも愛おしい我が子のために必死になって考えます。
考えて、考えて、元に戻ってくるなんてこともよくあります。

いくつか、過去作を振り返ってみます。

・さなぎドロップ
・たゆたう金魚
・遭いにキテ
・月の零れる
・AOHARUユース

このあたりは非常に抽象的で分かりづらいですね。

・まだまだやることが腐るほどある

これは、どストレートに書いた僕の中では珍しいタイトルです。

さてさて本題。
今回の表題である台詞は
不器用な男性が、愛する女性に告白している台詞なんですね。

「好き」とは直接言えずに、それでも気持ちを伝えたくて
精一杯の勇気を振り絞って出てきた言葉です。

名前を褒められることはあっても
名前を好きと言われることって、そうそうないような気がします。

それだけにインパクトはあったのでしょうが
恋が成就したかどうかは、また別の話です。

でもね、メールでの会話が当たり前になった現代において
なお言霊というものは、絶対に滅びないと思うのです。

世の世俗、風俗は時代と共に移り変わるということは理解できます。
そして今は、メールだけのやり取りだけで
直接会ったことがなくても交際していると宣言できちゃうような時代です。

だとしても
惚れた相手には会いたい、触れたい、抱きしめたいと思ってしまうのは
僕がただの俗物ゆえの感情なのでしょうか。

会って直接想いを届けたい。
それが叶わぬ恋だとしても。

僕は今、文屋になるべく、言葉と格闘しながら毎日を送っています。
書き言葉と話し言葉の違いこそあれど
一筆入魂の心意気で、言葉を紡いでいるつもりです。

洒落た台詞や意味深な言葉ばかりが「いい言葉」というわけではありません。
大切なことは、胸の内を届けたい相手に
100パーセント届けられるかどうかということです。

そんなこんなで、今日も文字通り悪戦苦闘しているのです。


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