故事成語

推敲(すいこう)

suikou

粛々とシナリオのリライトをしています。
パズルや模型と違って、完成形というものがないので
どこまでやれば終わりになるのか、果てが見えないのです。

これも素人たる所以なんですが。

ゼミの先生には
「木を見て森を見ずにならないように」
というニュアンスのアドバイスを頂いているので
そこだけは注意したいと思っています。

比べるのもおこがましいのですが
脳科学者である茂木健一郎さんのTwitterには
毎朝、ちょっとしたコラムというかエッセイみたいなものが投稿されています。

ご本人曰く、文章自体は即興で書かれているのだそうです。
内容の好みはあるにせよ、要点を絞って簡潔にまとめる技術は
大いに見習わないといけないですね。

このブログのように、あちこち話が飛びませんから。

たとえば

400字なら400字なりの、800字ならば800字なりの
文章の書き方というものがあって
論文なのかコラムなのか宣伝なのか、あるいはどの媒体なのか
そういったことをすべて加味して表現する必要があります。

もともと僕は文章を書くことが得意だったわけではありません。
(もちろん今でも得意ではありませんが)

夏休みの宿題にあったような読書感想文なんて
前書きと後書きを繋げたものを書いて提出していたくらいです。

そもそも、面白い!と思ったものを
面白い!の一言で表したらいかんのかい
という反抗めいた気分でいましたから。

もちろんそれでは、世の中通用しないということを
大人になってから嫌というほど痛感しているわけですが
読書感想文の在り方とそれはまた別の話ということで。

推敲の話ですね。

一度仕上げたモノを、もう一度振り返る作業は
実はやっかいで、正直に言えば多少の面倒くささはあります。

というのも、一度自分の中で完成と思ってしまったら
そこから先へさらに踏み込むという行為自体が
なかなかにエネルギーを使うからなんです。

もちろんレベルうんぬんの話はありますよ。
直した方が絶対に面白くなるということは分かっています。

分かっていますが、脱稿までに費やした集中力をもう一度と言われても
はいどうぞと簡単に差し出せるほど、安直なものではないのです。

はい、この考え方そのものが素人たる所以です。

プロのライターさんは、書き直してなんぼの世界に住んでいます。
プロデューサーやスポンサー、あるいは演じる俳優などから
あれやこれやとたくさんの注文が入ってきます。

そこで、できません無理ですと言ったら、次から仕事はなくなります。
最大多数の最大幸福を達成できることが、プロに求められている技術です。

さらに言えば、どうやって最大幸福の中に、オリジナリティを忍ばせるのか。
自分も最大幸福の中に含まれるためにはどうしたらいいのか。
なんてことを考えるのもまた技術であり楽しみでもあるらしいですね。

うーん、道のりは遠く、そして険しい。

まずは、自分が書きたいと思っていることを、きちんと表現できるように
最低限そのレベルからスタートしたいと思います。

面白い!を一人でも多くの視聴者や読者のみな様と共有できるように。


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