故事成語

紅一点(こういってん)

beni

先日、友人と飲んだ時に
どういういきさつでそうなったのか憶えていないのですが
教育論とは何か的な話題で盛り上がりました。

子どもたちの自発を促すために、どのような方法が望ましいだとか
新人研修をする際に心がけていることだとか
これからはトップダウン方式よりボトムアップ方式だよねだとか
お酒が入っていたとはいえ、熱く語ること語ること。

語りながら、僕は密かに感動していました。

感動した理由は、話の中身が理想論で終わるのではなく
実際に現場で取り組んでいる実践論だったからです。

さらにつけ加えるならば
20年前の自分たちからは想像できないほど
みんながたくましく思えたからです。

人間の行動指針を決める最大の要因は

その人が置かれた環境と立場によるものです。

もちろんすべてが滞りなく回転するわけではありませんし
昨年成功した事例が、今年も通用するというわけでもありません。

なにせ相手は血の通った人間です。
必ず100点が取れるひな型なんて存在しないわけですから
毎日が気づきと発見の連続です。

だからこそ、そこから何を学び
何を還元していくのかということに貪欲になれるだと思います。

それだけのパワーとバイタリティが友人たちにはある。
と思えるだけで、やはり感動してしまうのです。

100人のリーダーがいれば、100通りのやり方がある。
というのは、実はまったっくの嘘っぱちで
正確に統計を取ったわけではありませんが
ほとんどの指導者はマニュアルを順守することに力を注いでいます。

楽なんです。
人が通った後の道を歩くことは。

けれど指導者が没個性的なのだとしたら
そこからは、やはり没個性的な人間しか育ちません。

これは僕の体験からくる想像で、あくまでも私見にすぎませんが
教育現場の先生たちは、ものすごく頑張っているし、ものすごく苦労しています。

公務員ですから、文科省の定めたルールを無視することはできません。
けれど、文科省はあくまでも統計的な平均値から試算していますから
実は個性を伸ばそうと言いながら、個性を潰してしまうことだって多々あるのです。

ユーティリティープレーヤーが悪いと言っているのではありません。
スペシャリストの道に進みたいと思っている人の芽をつぶさないでほしいのです。

道徳を必須教科にして
いじめがなくなると本気で信じている指導者が果たしているのでしょうか。

国を動かすのはあくまでも国民であって、一部の政治家や官僚ではありません。
そんな政治家や官僚だって、新人の頃は高い志があったはずだと信じたい。

「正しいことをやりたかったら、偉くなれ」

某テレビドラマの台詞ではありませんが
悲しいかな、今のこの国のシステムだと出世と保身は紙一重です。
異端児は、持ち上げられて叩かれるという構造にも辟易しています。

どうか、世間とか空気とか目に見えない圧力に屈することなく
オンリーワンの花が、自信を持って咲きほこれる花となりますように。


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