雑記

「時効あるいは赦されざるモノ」についての考察

「日日薬(ひにちぐすり)」という言葉をご存知ですか?

あまり聞きなれない言葉だなと思っていたら
主に関西地方を中心に使われている言葉だそうです。

デジタル大辞泉によると
「月日の経過が薬代わりとなること」と書かれてありました。

胸張り裂けそうな悲しい出来事や辛いことがあったとしても
時の流れと共に、やがて痛みは薄れていくという意味になります。

以前、どこかの記事で書きましたが
記憶の「忘却」というシステムと同じ解釈です。

親しい人を亡くしたとしても、いつか笑顔を取り戻せる。
取り戻せなければ生きていけないってやつです。

とはいえ、事実は事実として残りますから
親しい人を亡くした、という結果は変えられません。

そして当然ながら、時間が経てば経つほど
痛みや悲しみが増す場合だってあり得ると思うのです。

少し話がずれますが

今年は、先の大戦の終戦から70年を迎える節目の年です。
あの戦争は何だったのかという歴史認識を巡って
国会をはじめ、様々な場所で様々な人たちが論争を繰り返しています。

僕の思考は単純ですから
いかなる名目があろうとも、戦争は絶対悪だと思っています。
どんな大義名分を振りかざしても、そこに何の意味はありません。

日本は加害者なのか被害者なのか、という問題の前に
戦争に加担したことには間違いなくて
多くの人の命を奪い、また奪われたという事実は変えようがないのです。

国家レベルで戦争について語るのならば
もう少し範囲をせばめて、社会や世間レベルで語るとして
たとえばオウム真理教が起こした一連の事件が挙げられます。

では、もっと身近な問題として
個人間のレベルで考えた場合はどうでしょう。

連日のように新聞やニュースで悲惨な事件が報道されていますが
それはほんの一例に過ぎず
いじめや家庭内不和が原因で傷ついている人だって、たくさんいるでしょう。
むしろ身近な分だけ、こちらの方が切羽詰った問題と言えるかもしれません。

交通事故でご家族を亡くされたという
そのご遺族の方の話を伺う機会がありました。

亡くされてからまだ数年しか経過していなかったこともあり
まだまだ心の痛みは癒されていないとのことでした。

それでもやはり、痛みを乗り越えていかなければ
これからの人生を生きていくことは困難だとも仰っていました。

でも、僕は思うのです。
痛みを乗り越えたとしても、ご家族を亡くされたという事実は消えません。
「忘却」というシステムが働いたとしても、事実は変わらないのです。

それは被害者の方のみならず、加害者の方にも同じことが言えると思います。

痛みは消えても事実は残る。
事実が残る以上、痛みが再発することだってあり得る。

それは、不慮の事故で片腕を失くした人が
ないはずの片腕の痛みを感じることに近いかも知れません。
つまり、心の中のファントムペインです。

国家という枠組みがあって
その中に社会というシステムがあって
システムの中に僕たちが生きる時間軸が存在します。

時間軸には、その時間を生きる人の数だけ物語があります。

今回は、その数ある物語の中から
忘却される記憶と、消えない事実という
二つの時間軸を生きる人たちに焦点を当てるところからスタートです。

余談ですが、今回の記事で、ブログの投稿回数が801回目になりました。
みな様のご訪問やコメントが励みになってこその回数です。
身になる話は出てきませんが、今後ともお付き合い頂ければ幸いです。


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