「夢は声に出して語った方がいい」
どこかしらでよく見かけるキャッチコピーです。
この言葉には二つの意味があると思っています。
一つ目は、まず自分の計画をはっきりとアナウンスすること。
どこで何がどう繋がっているのか分からないので
情報を聞きつけたなにがしから、援軍がやってくる場合があります。
二つ目は、自分で自分の退路を断つこと。
自分の言葉には責任をしっかりと持ち
まずは外堀から埋めていって逃げ道をなくすと。
夢物語を夢のまま終わらせるのか、そこへ向かって前進していくのか。
おとぎ話を後世に伝えたいなら前者を選べばいいし
人生を冒険活劇にしたいのなら後者を選べばいいのです。
冒険活劇なんて言葉を使いましたが
「夢」の形は人それぞれであって
他人と比較したり難易度を競うものではありません。
思い返してみれば、僕たちは子どもの頃、将来の夢があったはずなんです。
疑うことなく声に出して発表していたし
それを聞いた周りの大人たちだって、無条件で喜んでくれていたでしょう。
歳を重ね、現実を知って、やがてどんどん夢はすぼんでしまい
いつの間にやら、自分は何がやりたいのか分からなくなってしまいます。
身の丈を知るとか、分相応とか、確かに現実を直視することも必要ですが
それを言い訳にして、努力することから逃げてはいないだろうかと
内なる声に問いただしてみる時間があってもいいと思うのです。
努力すれば夢は叶う、なんて言葉を盲目的に信用してはいませんが
努力しなければ夢は叶わない、ということも忘れてはいけません。
繰り返しになりますが、夢の形は人それぞれです。
かと言って、好き勝手な妄想に走ってしまうと摩擦が生じます。
他人を傷つける可能性が出てきてしまうということです。
それではちょっとまずい。
「最初はほんの出来心だったのよ。軽い芝居だったの。それがあれよあれよという間に、現実になっちまうんだもの。街の連中に芝居をさせるつもりで始めた芝居が、舞台を超えて芝居を始めやがった。凄いよ。みんなを役者にしちゃったんだから。みんなが役者ってことは、世の中が芝居をしてるってことだからな。どこまでが真で、どこまでが演技なんだか分からない。もはや俺が何を言っているのかも分からない。それだけ混沌としてきたってことだ」
20代の時に書いた台詞です。
現在の世相を現していると思っているのは、僕だけでしょうか。
あまり褒められたものではありませんね。
願わくば、自分が夢に向かって行動することで
周りの人がハッピーになりますように。
最初はピーマンだっていいじゃない。きちんと中身を詰めて返すからさ。