新装版・四字熟語辞典

直情径行(ちょくじょうけいこう)

hasiru

どうやらすっかり臆病者になってしまったようです。
あるいは軟弱者と呼んでもいいのかもしれません。

好戦的な性格はどこへやら。
毎日がチキンレースだった日々が懐かしくもあり。

理由の一つが、加齢による「老い」であることは否めません。
肉体的な衰えは致し方ないとはいえ
気持ちの部分で後手を踏むことが多くなった気がします。

だからと言って
嘆いているわけでもありません。
悲観しているわけでもありません。
何よりも臆病者である自分が嫌いじゃない。

石橋を叩いて叩いて叩き壊すくらいでちょうどいい。
そんな脆い橋なら、最初から渡らなければいいのですから。

激情化である自分は、とうの昔にどこかへ行ってしまいました。
でも情熱の種火はしっかりとこの胸の中に眠っています。
その「手応え」は間違いなくある。

枯れてしまったと思っていた情熱の種火が
どうやら、ぷすぷすとくすぶっていたらしく
ここにきて再燃しようとしているわけです。

昔の自分なら、ここで一気に炎をたぎらせようとしたでしょう。
燃料になりそうなものを片っ端からブチ込んで
自分が炎そのものであるかのように
とにかく燃やし続けることに意義を見い出していたのです。

今は、「燃えきった焚火を見ている」とでもいいましょうか。
炎のゆらめきを外側から眺めることができるので
時折様子を見て、必要に応じて薪をくべればいいのです。

燃える側から燃やす側へと、立ち位置が変化した理由は
先に述べた通り、「老い」によるものが大きいことは事実です。
その結果、「若さ」にはない「経験値」というものを手に入れました。

もちろん「若さ」には「若さ」なりの特権があります。
その特権をどんどん使えばいいと思います。
あとで後悔するくらいなら、しぼり出してでも使い切った方が潔い。

僕が幸運だったことは
しぼり出した分、還ってくるものが大きかったということです。

判断に困った時
僕はいつだって最後の最後は自分の「勘」を頼りにしてきました。
自分で出した答えなので責任はすべて自分にありました。
だから、当たろうが外れようが納得せざるを得なかったのです。

今でも何かを決断する時は「勘」に頼る部分が大きいのですが
そこに「経験値」という要素が加わったことで
「経験に基づく勘」という新たな判断基準を持てるようになりました。

なんだ、結局「勘」頼りかと言われればそれまでなのですが
僕はロボットでもないしスーパーコンピューターでもありません。
占い師でもなければ、オーラが見えるわけでもないので
判断材料は、自分の中から見つけるしかないのです。

スーパーコンピューターが統計学を元に
99.9パーセントの確率で正解をはじき出そうと
僕の「勘」が、残りの0.1パーセントに引っかかるのなら
その引っかかりを信じてみようと思うのです。

「老い」てはいても「枯れている」のではありません。
今、ここでしか見えない風景というものをしっかりと眺めること。

そうすれば、やがて「枯れる」日が来ようとも
その時はその時にしか見えない風景がきっと待っているはずだから。


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