芝居

故郷

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ある晴れた日曜日の朝、彼は散歩に出かける。

雑踏を抜け、路地裏入る。

路地裏には小さな公園があった。

彼は公園のベンチに腰をかけて、手にしていた小説を読み始める。

どれくらい時間がたっただろう。
気がつくと目の前に一人の少女が立っていた。

少女の手には桜色の風船が握られていた。

少女は柔らかい瞳に静かな笑みを浮かべ、彼におじぎをする。
つられて彼もおじぎをする。
少女はもう一度彼に微笑みかける。

次の瞬間、彼は理解する。

自分の中にはっきりとした感情が芽生えたことに気がつく。
彼は一瞬にして少女に恋をしたのだ。

その恋は紛れもなく100パーセントの恋だった。
これまで経験してきたどんな恋よりも、力強く激しい恋だった。

彼は少女のすべてを愛おしく感じた。
後で束ねられた髪の毛も、細く白い手の指も、小さく膨らんだ二つの胸も
そしてその内に眠る無邪気さも。

ふと頭の中を故郷がよぎった。
木造の家屋が立ち並び
駅前にはささやかな商店街があり
校庭には錆びた鉄棒が立っていた。

彼は今、街を一望できる丘の上にいる。
遠くに川が流れているのが見える。
土手の上を風船が風に揺られていた。

風船を目で追いながら、彼は涙をこぼしていた。
彼は知り過ぎている。自分の毒を。
そして目の前に立つ少女が、やがて同じように汚れていくことを想い
やり切れない気持ちで一杯になった。

彼の故郷は目の前にある。
けれどそこにはもう帰ることはできない。

少女が彼の涙をそっと拭う。
風船が手を離れる。

桜色の風船は、高く高く、風に揺られて天高く
そしてやがて消えてなくなった。


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