故事成語

烏有に帰す(うゆうにきす)

$こうたろ.com

映画にしろ芝居にしろ、音楽でも小説でも
素晴らしい作品に出逢うと、なんて自分はちっぽけな存在なんだろうと思います。

ちっぽけというか、自分の中身が空っぽであることに気がつきます。
激しく強く、圧倒的な虚無感に襲われるのです。

こうなると、感動したとか、やられたとか、そんな感情レベルでは表現できません。
なにせ空っぽなのですから、頭のてっぺんからつま先まで震えがきて
永遠という孤独とはかなさに打ちひしがれてしまいます。

もちろんそれだけ素晴らしい作品に出逢えたことは幸福であるし
何一つ後悔することはありません。

ただ、押し寄せてくる土石流のような猥雑とした力の前に
僕の心は、きれいさっぱりなぎ倒されて、残るはカラカラの荒野だけ。
何もかもがすっかり無くなってしまうのです。

こんな時、涙を流せたらどれだけ救われるだろうと思います。
乾いた心に潤いを。
涙には、そんな浄化作用もある気がします。

けれど僕は泣かない。
正確には泣けない。

感情を誰かと共有することもできずに
呆然としたまま、独り崖の淵に立たされて
いつか誰かに背中を押されるんじゃないか
そんな猜疑心さえ生まれてきます。

ただし、この孤独は、決して後ろ向きな孤独ではありません。
むしろ非常に前向きな孤独と呼んでもいいのかも知れません。

それが証拠に、土石流にすべて流されたとしても
僕はその場に立っています。
そして、もう一度街を作ることができます。

その街は、これまであったどんな街よりも大きく堅牢で力強い街となります。
朝陽と共に街は目覚め、人々の営みがあり、夕陽がやってきて静寂が訪れます。
前向きな孤独であればあるほど、街は姿を変え、発展し、成長していきます。

それが恐らく、自分の中のキャパシティを大きくする唯一の方法で
何度も繰り返し体験することによって、より強固なものができあがってくるのです。

人によっては、感受性と呼んだり直感力と呼んだり
あるいは第六感と呼ぶのかもしれません。

まあ、毎日そんなことしていたら、さすがに疲れてしまいますから
時には、毒にも薬にもならない、無意味な刺激も必要ではあります。

が、やはり絶えず田畑は耕し、川には水が流れ、澄んだ空気に満ちている。
そういう努力の積み重ねが年輪となり
自分の中の太い幹を大きくしていくのだと思うのです。

僕は、あるできごとがあって
自分の根源でもある幹をポッキリ折られたと思っていました。
アイデンティティの崩壊です。

確かに折られたことは事実です。
ところがどっこい生きている。
幹は折れても、根っこまでは枯れていなかった。

その根っこが、ようやく表に出てきて陽の光を浴びる状態までになりました。

さて、これから僕の中の荒野にはどんな街が作られていくのでしょうか。
途中で押し流されることもあるでしょうが
僕は希望という言葉を信じています。

希望は過去にはありません。

これから訪れる毎日の中に埋もれている。
だから転んだとしても、きっと再び立ち上がれるだろう。

そう言い聞かせて、今夜も眠りにつくのです。


3 Comments

  1. SECRET: 0
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    こうたろさん。こんばんは。
    根っこが残っててよかったですね。
    ポッキリ幹が折れてしまっても、
    根っこがある限り大丈夫ですよ(´◡͐`)
    きっとその根っこは地中にいる間、
    土から栄養をもらってたのかな?
    その根っこが、ようやく表に出てきて
    陽の光を浴び、また月の柔らかな光を
    浴び、、、
    そして芽が出て、また太い幹へとなっ
    ていくコトを願っています。
    うん。「希望は過去にはない」
    ステキなコトバですね( ᵘ ᵕ ᵘ ⁎)

  2. SECRET: 0
    PASS:
    >まにまにさん
    こんばんは。
    根っこも腐っていたらどうしようと思っていましたが
    わずかではありますが、生き残りがいたようです。
    まあ、しぶとい。
    でもそのおかげで、こうしてまた好きなことに夢中になれるのだから
    僕は幸せ者ですね。
    もろもろ精進します。

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