大和言葉

どうぞお上がりください

ojigi

その昔、友達を呼べる家というコンセプトのもと
部屋が広めのアパートを借りたまではよかったけれど
駅から遠すぎて、結局誰も来なかったという
痛恨のミスをしたことがあります。

基本的に掃除が苦手なので
誰も来ないと分かると、部屋が荒れ放題になります。

ただでさえ、当時は資料やら辞書やらで
足の踏み場もないくらい埋もれていたのに
そこへきて、ホコリが溜まるという悪循環。

ハウスダストアレルギーの僕は
自分の部屋が一番アレルギーになりやすいという
ここでも大きな矛盾を抱えた痛恨のミスをしていました。

それでもやっぱり一人暮らしには憧れます。
好きなモノに囲まれて、好きなリズムで生活がしたい。

あの心地よささを一度体験してしまうと
なかなか忘れられるものではないですね。

若い子には旅をさせろと言いますが
家庭の事情が許すのであれば
若い子には一人暮らしをさせた方がいいと思います。

規則正しい生活を送ろうが
でたらめな生活を送ろうが
すべては個人の責任になります。

この、個人の責任というものが実は大きな経験値として
後々の人生に大きな影響を与える気がするのです。

もちろん都内に限ったことではなく
どの地域でも同じことが言えます。

家から1歩外に出れば
嫌でもどこかしらの集団に属することになります。
学校生活、部活動、地域のコミュニティ、会社などなど。

集団の中でもまれることによって芽生える責任感もあります。
と同時に、消えてしまう個性があります。

良くも悪くも、日本は村社会です。
個人の発信が増えたと言っても、その実はまだまだ村社会です。
不特定多数の誰か、という幻想が生まれます。

世間がひりひりすればするほど
この不特定多数の誰か、という幻想は強くなる傾向があります。

個人の責任が曖昧になり、誰もがなんとなく同じ方向を見ている。
そんな気分だったり雰囲気が蔓延してしまいます。
それだと、ちょっとまずい。

極端なことを言えば
世論は二分しているくらいでちょうどいいのかもしれません。

だいぶ話が飛躍しましたが、そういうことです。
個人の責任において、いつでもどうぞお上がりくださいと
心の扉をオープンにしておきたいものですね。


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