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$こうたろ.com
:I hit on a good idea while talking a bath.
:I hear you hit on a solution to the problem.

昨日のブログの補足というか追加というか続編的なものを。

ある個人が生み出す作品には、その人の世界観が出るという話を書きました。
オリジナリティと言ってもいいし、色と言ってもいいし、個性と呼んでもいい。

ただし、世界中に転がっている物語すべてがそれで成立しているかと言えば
実はそんなことはなくて、案外、似たり寄ったりの作品であることが多いのが実情。
どんな作品も、どこかで目にしたような既視感を覚えるわけです。

というのも、すべての物語の構造を紐解いていけば
大抵は、古典と呼ばれる名作にぶち当たるからです。

たとえば、韓国映画ブームの火付け役となった「シュリ」。
僕も大好きな作品の一つです。
でも見方を変えれば「ロミオとジュリエット」の焼き増しとも言えます。

好きな人がいて、それを妨げる障害があって、主人公の葛藤があり
苦難の末に乗り越えて成長する物語。

「ロミオとジュリエット」も「シュリ」も悲劇的なラストを向かえますが
基本的には、これが恋愛ドラマの王道パターンです。

恋愛ものを扱ったトレンディドラマをざっくり分解すれば
状況や設定が違うだけで、すべてこの法則に当てはまります。

そもそもドラマとは、「葛藤」と「成長」を描くものであり
恋愛ものであろうと、ミステリーであろうと、時代劇であろうと
名作と呼ばれる作品ほど、この「葛藤」と「成長」が
ものの見事に表現されているのです。

作家はこれらを踏まえた上で、手を変え品を変え、シナリオを書きます。
そこに奇抜な発想やアイディアが加われば、鬼に金棒というわけです。

ここまで書いて、ふと思いつくわけですが
じゃあ、ドキュメンタリーはどうなんだという話です。

圧倒的な現実の前には、どんな物語を用意しようとも、すべてかすんで見えます。
9.11のテロや3.11の震災を前に、どんな物語がたちうちできるのかという話です。

事実、僕もこれらの出来事があってから
何を書いても嘘くさく思えて、創作活動すらやめようと思った時期があります。
自分だけの小さなオリジナリティなんて、何の役にも立たないと感じたからです。

それでも断筆せずに踏みとどまれたのは
物語の力を信じていたからだと思うのです。

確かに圧倒的な現実の前に、自分の小さな物語は吹き飛ばされてしまうでしょう。
どんなに優れた恋愛ドラマを書いたとしても
本物の恋愛をしている恋人たちのドラマには勝てっこない。
所詮、物語は虚構の世界です。

けれど虚構であるがゆえに、可能性は無限に広がるのではないか。
たとえば、失恋した人の痛みの原因そのものには勝てないとしても
打ちのめされて途方に暮れている人の肩を、ポンと叩くことができるかも知れない。
次の恋に踏み出すために、背中を押してあげることはできるかも知れない。

だから、と思うのです。

最近の僕の好みの傾向が変わりつつあるのは。
それは誰もが思いつかないような、状況や設定を無理矢理用意するのではなく
(もちろんそれが必要なことだとは理解しています)
誰かの隣に転がっているような、小さな小石に命を吹き込んであげること。

その人が、ふと横に視線を移した時、気に留めてもらえるように石を磨くこと。
当然、ありのままの日常を切り取ったような作品では面白味がありません。
虚構の世界だからこそできることを模索する必要があります。

どうせウソをつくのであれば
うまいこと真実を虚構の世界に引っ張ってきて、別の角度から切り取ってあげる。
そして、さも新しい真実であるかのように見せかける。そんなウソです。

非常に抽象的な言い方ではありますが
多分そういうステップに来ているのだなあと感じる今日この頃。

言うは易し、行うは難しで、実力が理想に追いついていないというもの
これまた事実。

でも、いつの日か、3.11をモチーフとした物語を書いてやる。

そんなことが、モチベーションの一つでもあったりします。


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