雑記

Kotaro、再び

みなさん、こんにちは。

と、呼びかけるだけのみなさんがいるのかどうか
もはやそれすら分かりかねるほどのご無沙汰です。

僕が冬眠している間も
世界は間違いなく時を刻んでいて
そんな様子をじっと土の中から見つめておりました。

めでたい話がたくさんあったのと同時に
同じ数だけきな臭いニュースも流れていました。

相変わらず混沌とした世の中だなあとしみじみしつつ
それでもどこか他人事のように思えていたのは
きっと自分の生活に余裕がまったくなかったせいで
でもそれは自分自身が招いた結果でもあり
とどのつまり、己が一番カオスだったんだと気がつくあり様です。

桜の開花と共に、そんな泥沼からようやく浮上しはじめ
あとは、ぱちくりと眼を開くだけの状態にまで復活し
昨日、無事に誕生日を迎えることができて
まあなんというか、生活のリズムも落ち着きを取り戻しつつあるので
ここらで、もうひと踏ん張りしてみるかねと
重い腰をよっこらしょと担ぎ上げてみたというわけです。

身体は間違いなく老いているわけですが
その身体が憶えている記憶というものがあって
精神年齢と肉体年齢のギャップに戸惑いながらも
さほど取り乱していないのは
やはり年の功なんだろうと素直に認めるようになりました。

そもそも自分が青年期を終えて壮年期に入り
世間で言うところの中年の域に差しかかったと考えると
感慨深いものがないわけではありません。

でもそれは、喪失の30代が終り
目覚めの40代が始まったことを意味します。

30代後半から続いていた脱皮の時期がようやく終わり
新たなステージへ立つ準備が整ったというこです。

恐らく多かれ少なかれ、人は年を重ねるごとに
なにかを手放したりあるいは失っていくのでしょう。

もちろん僕自身も例外ではありません。
ただ、そんな現実に抵抗していた季節が過ぎて
手放して失った分だけ、また新しい何かを吸収できる
そんな状態がようやく整ったのかなあと思っています。

まだまだ伸びしろがある。
と、無理矢理言い聞かせるのではなく
きっとここからもう一つ伸びるんだろうなあと
今なら素直に受け入れられるんじゃないかと思っています。

楽観するのではなく、悲観するのでもなく
当然達観するわけでもなく
あるがままの自分と対話しながら、残りの半生のスタートを切る。

そんなわけでございまして
またぽつぽつとブログも更新していく予定です。
もしよかったら、お付き合いください。


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