故事成語

格物致知(かくぶつちち)

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年も明けて、本格的な受験シーズンがやってきました。

私立高校の入試問題が新聞に載る度に、軽く目を通してみるのですが
ちんぷんかんぷんもいいところで
脳みそって、使わないと本当に衰えていくんだなとしょんぼりしています。

大学受験になると、なおさらその傾向は強まり
もはや別世界の出来事のように、遠い昔の記憶に思いを馳せるだけです。

当時は、学校教育における受験の持つ意味が理解できず
そのシステムに八つ当たりしたり、あるいは放棄しようとしたり
無駄な抵抗をやたらめったら繰り返していたのですが
結局は流れに逆らうことができずに、濁流の中へ飲み込まれていきました。

理解できないものへ情熱を注ぐことは苦行でしかなく
友達が受験するから一緒の学校を選択するとか
浪人してもう1年勉強漬けになるのが耐えらないから、現役で合格するぞとか
受験に対して主体性というものを、ほとんど持ち合わせていなかったのです。

どうがんばって数学の証明問題を解いたところで
そこにエクスタシーを感じることはできませんでした。

そして月日は流れ現在に至るわけですが
今でも、受験そのもののシステムがいいのか悪いのか判断つきかねます。

けれど、長い人生の中で考えた時
一度や二度くらいは、無条件で勉強に集中する時期があってもいいのかなと
そんな風に考えられるようになりました。

確かに高校卒業以後、数学の公式を使う場面には出くわしていないし
歴史の年号を覚えていたところで、合コンでは自慢にもなりません。

それでも、若いうちに人生と真っ向勝負してみることは悪くないのでは。
合格不合格は別として、少なくともマイナス要因にはならないだろうし
受験は必要条件ではないけれど、十分条件にはなり得るのだと思うのです。

ああ、なんて大人の発言。

だから合格することが目標なんじゃなくて
その後が本当の始まりだとするならば、それはとても素敵なことですよね。

学問を志すのに、年齢は関係ありません。
30歳だろうが40歳だろうが、始めるのに遅いということはないのです。

ただ、義務教育で培った知識は、単なる勉強だけでなく
共に過ごした友達との思い出なんかが、もれなくついてきます。
みんなでやいのやいの盛り上がった記憶というものは、そうそう消えません。

そして社会に出れば身にしみて分かることですが
偏差値の高い低いという判断基準は、人生とはほぼ無関係であることを。

生きる術を学ぶために学問があるのだとするならば
学んで習得した知識を知恵に変えること。

いずれにせよ、受験生諸君及び関係者の皆様
体調にはくれぐれもお気をつけて、悔いのない受験ライフをお過ごしください。

ちなにみ僕は、大学入試の一週間前に、生牡蠣で食あたりをし
3日間寝たきりだったという、これも忘れがたき思い出があります。


2 Comments

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    こうたろさん
    励ましありがとァ(o・∀・o),
    ところどころ・・・。え?励まし・・・じゃなぃ!って思うのはふーの勘違い?(笑)
    食あたりもwwwなんでー(爆)
    ありがと◦(◕ 。◕)ノ♫

  2. SECRET: 0
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    >ふーさん
    こんばんは。
    いよいよですね。
    こっちもドキドキしてしまいます。
    応援することしかできませんが
    ぜひぜひ、春風到来となるように頑張って下さい!
    少なくとも悔いだけは残さないように。
    食あたり…なんでだろ(爆)
    あれ以来、すっかり牡蠣アレルギーになってしまいました。

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