故事成語

歓楽極まりて哀情多し(かんらくきわまりてあいじょうおおし)

$こうたろう.com

何度も取り上げていますが
僕は村上春樹さんの「ノルウェイの森」という作品が大好きです。

好き、というレベルではないな。
なんというか、突然巻き起こった嵐に見舞われ、魂を根こそぎ持って行かれた
そういう類の作品なんです。

初見した時の状況が、主人公のワタナベ君と似たり寄ったりだったこともあるし
ワタナベ君が見る世界の捉え方が、あまりにも重なっていたということもあります。

多かれ少なかれ、「ノルウェイの森」という作品に惹かれた人は
大体同じような感想を持つようです。

これは他の村上作品にも共通していて
「どうして僕(私)の気持ちが手に取るように分かるんですか?」
といった感想をたくさんもらうらしいと、何かで読んだ記憶があります。

多くの読者から、シンパシーを感じてもらえるということは作家冥利に尽きます。
でも本当に、みんながみんな同じようなシンパシーを感じているのだとしたら
この世は、なんて切なく儚いものなんだということになります。

だって、書かれている内容は、決して夢や希望を謳ったものではなく
孤独や闇や悲哀を抱えた人物たちが
もがいてもがいて、それでも救いの手はなくて
かすかに掴んだ光りすら、握った手のひらから零れ落ちてしまうような
少なくても僕にはそうとしか捉えられない作品ばかりだからです。

これが「スプートニクの恋人」や「ねじまき鳥クロニクル」辺りになってくると
若干、趣が変わってくるのですが
初期三部作なんかは、はっきりと青春にけじめをつけるような作品だし
けじめをつけて待っていた世界が「ノルウェイの森」だとしたら
なんのために自分は生きているんだろうということになってしまいます。

幸せの頂点にいてなお、かえって悲しみの気持ちが湧いてくるとは
一体どいういうことだと。

まあ、僕が今さら解説するまでもなく
多くの有識者が彼の作品研究をしているので
専門的なことはそちらにお任せするとして。

たかだか二十歳前後の小僧が読んで、魂を根こそぎ持って行かれたのだから
そこから先の人生は推して量るべきものがあると思います。

でもそこからもう一歩踏み込んで考えてみると
「生」への渇望を激しく感じ取ることができます。

‐深く愛すること。強く生きること‐

これは映画版のキャッチコピーですが
この歳になって初めて、そういう解釈もできるのだなと思いました。

どん底に突き落とされていただけなら、きっとすぐに飽きてしまい
他の作家に乗り換えるか、記憶の片隅から消してしまうかどちらかだったでしょう。

そうならなかったのは、どんなにしんどくて深刻な問題を抱えていたとしても
自分が「生きる」という選択肢を選んだからだと思うのです。
そこが二十歳前後の時と、四十を前にした今とでは大きく違うところです。

たとえ人生に失望し、期待することを諦めたとしても
これから先も生きていくことには変わりはなくて、どうせ生きるのなら
高杉晋作の辞世の句にあるように

おもしろき こともなき世を おもしろく

で、ありたいと願うのです。

音楽に身をゆだね、ステップを踏んで、愛する人と寄り添っていく。
そういう人生も悪くないなと。
むしろそうあって欲しいなと、今の僕なら素直に思えるのです。

成長したなあ、オレ。


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