故事成語

驥尾に付す(きびにふす)

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僕は中学時代、陸上部に所属していました。

専門は、中長距離。
生まれ持った才能が如実に現れる短距離種目と違って
中距離種目は、練習を積み重ねれば
ある一定のレベルまで到達することができます。

進級と同時に監督が代わって、それから鬼のような練習の日々が始まり
結果が、3か月後の大会ですぐに現れました。

それからも、走れば走るほど記録は伸びて
おかげさまで、そこそこの成績を残すことができました。

勉強は大嫌いだったけれど
なんだかんだブーたれながらも部活動は楽しかったんですね。きっと。

高校受験を意識するようになったある日のこと。
その顧問の先生と、受験勉強の話題になって、言われた一言が
「努力することも才能のうち」という台詞でした。

お前には努力する才能が足りないと、戒めの意味で使われた言葉なのですが
けっこう、子どもながらにもグサリと突き刺さって、今でも憶えているわけです。

何を持って才能と呼ぶのか。
そもそも才能とは何なのか。

先天的なものなのか。
後天的なものなのか。

諸説もろもろ解釈が別れるところだとは思います。

たとえば中学時代、その監督と出会わなければ
ランナーとしてはただの凡人で終わっていたでしょう。

高校受験も、実際にどの高校を受験するのか決める時に
当時、一番仲の良かった友達と同じ学校を受験するという
それだけの理由がなければ、わざわざ男子校なんかに進学しなかったはずです。

大学受験も然り。
就職せずに芝居を続けていたことも然り。

その時その時で、恩師なり朋であり、自分を導いてくれる誰かがいたおかげで
視界が開けたということは紛れもない事実です。

順調な人生かと問われれば、まったくそんなことはないのですが
少なくとも、その道の先駆者が間近にいてくれたおかげで
自分はたいしたことをしていなくても
なんとなくお得感みたいものがあったと思っています。

そんなこんなで、人様のおこぼれにあずかって生きてきた人生ではありますが
未だに、自分の才能というものが分かっていないし
どの分野にどれだけのポテンシャルを秘めているのか、見当もつきません。

ただ一つ言えることは
「才能とは、夢を見続ける力のことですよ」

というお洒落な台詞が、今の僕の最後の頼みの綱になっているということです。


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