故事成語

株を守りて兎を待つ(かぶをまもりてうさぎをまつ)

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昨夜のゼミで、提出したミニプロットについて
「エピソードを羅列しただけで、気持ちの流れがまるでない。
これじゃ人は動かないし、成長もしない」という至極まっとうな講評を頂きました。

いつになってもプロットが上手くなりません。

プロットは練習すればするだけ上達すると、どんな先生も声をそろえて仰います。
つまり練習が足りないんですよ。結局は。

はい。
その通りだと思います。

きちんと時間をかけて吟味したものを、自信を持って提出しないと
なんのためのゼミなんだか分からなくなってしまいます。
言い訳はなんとでもできるので、それは割愛します。

なんの話がしたいのかというと
近頃、グローバル化だの第三の開国だのと騒がれていて
この時代の波に乗ることが出来ない人たちが
いわゆる追い出し部屋みたいな場所に閉じ込められているわけじゃないですか。

確かに資本主義社会は競争の世界でもありますから
常に時代の先手先手を打っていかないと生き残れないことも事実なわけです。

それは認めます。

同時に、何でもかんでも新しければいいのかといえば、決してそんなことなくて
受け継がれてきた文化や風習など、守っていくべきものもある。

つまり、どんなにデジタル化が進んでも、アナログは消えてなくならないよと。
3Dだなんだで映像に技術革命が起こっても、シナリオを書くのは人の手だよと。

お題の意味からは思いっ切り逆行しているわけですが
両極端過ぎる傾向があるような気がして、ちょっと待ってよと思うのです。
この二極化が、あまりにも軽率な気がして、どうにも居心地が悪いのです。

ちょうど20世紀から21世紀に時代が移る時に作った芝居があります。
音楽をモチーフに、記憶と思い出をテーマにした作品です。

この物語の中で、主人公の青年は、過去の自分と決別することを選択します。
青春に別れを告げて、新しい時代を生きていく決意をしたのです。

忘れかけていた記憶が甦り、それはとても甘美なもので
主人公を足止めしておくには十分すぎるほどの宝物でした。
いつまでも思い出の中に浸っている方が、人間は楽なのです。
なぜなら過去の自分は、決して自分を傷つけないからです。

消えない傷、忘れられない痛みがあって、実際に苦しんでいるのだとしても
後ろ向きの青春は、今の苦しみ以上に現実の自分を痛めつけません。
(PTSDやトラウマで困っている人を蔑視しているという意味ではないです)

過去の記憶を忘れろと言っているわけでもありません。
ただし、過去の記憶と決別する時に、その代償として孤独を手に入れます。

この孤独は前向きの孤独です。
だから当然、傷つくこともあるし、怪我をして血を流すこともあります。

前向きな孤独は、明日を生きる糧となります。
明日を生きぬく1歩。
その1歩は他人から見たら小さな1歩かもしれませんが
あなたにとっては大きな1歩のはずです。

他人と比べたり、他人から受ける相対評価は、この際どうでもいいです。
向かい合うべき相手は、自分の中にいるのですから。

ラストシーンで主人公が、歩き出す一瞬の間、躊躇するのですが
すると過去の自分が、優しく語りかけてくるのです。
「右手の孤独は左手で握りしめてあげよう。そうすれば未知なる道が、ほらそこに」
ああ、なんて素敵な台詞なんでしょう。もう二度と書けないなあ。しみじみ。

というわけで、この故事成語の対極は温故知新となるわけですが
世知辛い時代だからこそ、新しいものを受け入れる度量の広さと
これまで築き上げてきた自分というものを見失わないキャパの深さ。
この二つを同時に兼ね備えておけば、多少のことではビクともしなくなりますよ。

っていうお話しでした。

久しぶりに書くと、いつも以上にとりとめがなくなって
技術の拙さを知り、まったくもって痛恨の極みです。


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