Plinky

The normal

Q:“普通の人”であることは-アナタという人を形作るすべてにおいて-長所ですか?短所ですか?あるいはどちらでもないですか?

A:自分が特別な存在だと思ったことはないのですが、できるなら、どこかしら誇りに思える何かを持ち合わせていればいいなと思います。

個性なんて放っておいても出るし、放っておいても出るのが個性、というのが僕の自論なので、100人いれば100人の「個」があると思っています。
芸術の道を志す人にとっては、常に意識せざるを得ないし、死活問題にもなってきます。ただ優れたアーティストというのは、きちんと自分の「個」を把握し、技術を駆使して「ウリ」として表現できる人のことだと思うのです。

「若くておっぱいが大きい」だけでは「ウリ」になりません。なぜなら、翌年には自分より若いタレントさんが、続々と出てくるからです。

でも普通の生活を送るだけなら、そこまで強く意識する必要はないだろうし、自意識が高すぎると、トラブルの元になったりすることもあるので、そこはあえてセーブする必要があったりもします。

あ、でも、自分の立ち位置がどこにあるのか、ということは知っておいた方がいいと思います。

僕は、人と人の間のお付き合いにおいて、駆け引きというものが下手くそだし、むしろ嫌悪しているところがあるので、「個」というモノをそういう武器にされると、一気にテンションが下がります。高飛車な態度を取られると、その鼻っぱしをへし折ってやりたくなります。かといって卑屈になり過ぎるのもどうかと思いますし。

なんて考えるならば、ニュートラルな状態でいることは、実は難しいことなのかも知れません。

よく「素の自分」とか「ありのままの私」なんて啓発本が売っていますけど、あれ、あり得ないですね。人は、自意識が芽生えた時からずっと、演じるという行為を意識的にしろ無意識にしろ、求められてきたし、使い分けてきました。

家族といる時の自分、好きな人といる時の自分、会社にいる時の自分、一人で部屋にこもっている時の自分、全部異なっていて当然だし、そんなところで悩むだけ時間がもったいないと思います。

ということが前提にあって、その上で、前述した立ち位置というものを意識して、適材適所で使い分ければ、それだけで、人生、ガラッと見える景色が変わってくるのではないでしょうか。

たとえば、僕がブサイク村孤独地区の住人だとしたならば、顔ではハンサム村出身の人と対等ではありませんから、それ以外の武器、たとえば話術なんかで足りない部分を補う必要があります。住所が孤独地区なので、Facebook友達500人地区の人よりは、一人ひとりと関わる時間が多く持てるだろうし、その分、深いところまでたどり着けるかも知れません。

いずれにせよ、弱点は鍛える必要があり、長所は伸ばす必要があります。こればっかりは訓練を積み重ねていくしかありません。もし、あなたが毎回毎回同じような異性に、同じようなフラれかたをしているのならば、異性運がないと嘆く前こ、この部分を見直してみてはどうでしょうか。自分磨きっていうと大げさですが、一度じっくり自分と向き合って、何が「個」でどうすれば「ウリ」になって、自分も周りの人もハッピーになれるのか、考えてみても悪くないと思うんですけどね。


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