Plinky

Island of misfit posts

Q:私たちはみな、“書きたい欲”をもっていますが、ブログでそれらを本当に意図したとおりに“ピタッと”書くことができません。とにかくそれらを書いてみましょう。

A:単純に、文章を書くスキルが足りないか、書きたい内容そのものと自分の意思のピントがずれているからではないでしょうか。

人間には、三大欲求に代表されるように、さまざまな欲求があります。“書きたい欲”もその一つでしょう。少なくともブロガーにとっては。

ところが、ブロガーに限らず、SNSの普及により、誰もが簡単に自己表現できるようになりました。もちろん利用するサービスによって、発言の内容は異なるにせよ「発信する」という意味においては同じだと思います。

イベントの宣伝であったり広告であったり、伝える側にはっきりとした目的があるのなら、話は簡単です。

で、今回のお題は、そういう媒体としてのブログではなく、もっと超個人的でミニマムな世界についてのお話です。

かつて、日記は鍵のかかった引き出しの中にしまっておくもの、という時代がありました。王様の耳はロバの耳だった時代です。吐き出さずにはいられない。だけど誰かに知られては困る。日記には単なる成長の記録と同時に、そんな思いも込められていました。

時代は変わって。インターネットの普及により、情報化時代は新たなステージにたどり着きました。今頃、ネット選挙解禁だなんて、随分時代遅れだなと思いますが、それでも国政が参加するほど、情報化時代は身近な存在になりました。利点と欠点はあるにせよ、です。

ま、ネット社会の話は、また別の機会にするとして。

一口にブログと言っても、アクセスを増やしたい人、友達を作りたい人、読者を限定している人などなど、色々なタイプのブロガーさんがいます。けれど根本にあるものは「ここではないどこか」と「あなたではない誰か」という気持ちだと思うのです。

それは、読まれるあてのない手紙をビンに入れて海に流すことと似ているかもしれません。でも逆を言えば、誰かに読んでほしいという思いがあるわけですね。そしてネット上の海は、広いようで狭いですから、大抵の場合、誰かが拾って読んでくれます。そこで返事が来ようものなら、ついついウハウハとなってしまうのです。

だけど、本当に書きたいこと、伝えたいことを書いているのかといえば、必ずしもそんなことはなくて、それは最初に述べたスキルの問題かも知れませんし、あえて伏せているのかもしれません。

結局のところ、着かず離れずの距離感が無難だったりするのでしょう。ポジティブな反応があればラッキーだし、批判的なコメントが飛び交ったとしても、顔も名前も知らない相手ならば、ある程度はやり過ごすことができるからです。

芸能人のブログ炎上は、またパターンが違うのですけど。

本題に戻って、結局何が言いたいのかというと、着かず離れずの距離感を保つためには、そこそこの文章が書ければいいや、という意識が働くから、100パーセント自分をさらけ出す必要もなくて、結果、書いた内容も、そこそこになるということです。

だから実は、ビンに入れた手紙ほど切実なものではないのです。書き手がそんな調子だから、読み手もフラットに読めるわけです。お互いにそれ以上のことを望まないから、バーチャルな世界で、そこそこの関係性が成立しちゃうんですね。

まれに、本当に切実な内容のブログを見つける時があります。そういう人たちにとっては、そこそこの関係性だけでは物足りないのでしょうけど、基本が「ここではないどこか」と「あなたではない誰か」である以上、その先へ踏み込んでくる人というのも、やはりまれな人ということになります。

いずれにせよ、“書きたい欲”があって、それに見合うだけのボリュームを持ったブログを書きたいのであれば、技術はもちろん、あとは意欲の量になってくると思います。書き手が何を目的としているのか、それによって切り口は様々あります。スタートの地点で失敗しないことが、最低限の条件かと思います。

蛇足ながら、僕自身は、ブログの枠を超えた関係性は成り立つと思っています。自分の好みのブログとそうでないブログがあって、それは社会に出ても、気が合う人と合わない人がいるように、今回はたまたまきっかけがブログだっただけで、そこから先のことは、二人の努力次第でどうにでもなるんじゃないかと。


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