Plinky

Singular sensation

Q:ブログを書くことで、ある種の経験を積んだり生活が変わるのだとしたら、どんなことを望みますか?

A:モノを書くという行為は、「なり得たかもしれないもう一人の自分」と出会うことであるような気がします(あくまでも僕にとって、という意味ですが)。ですから、そこには喜びと興奮と挫折と苦悩が待ち構えています。それでも僕は、進んでそれらを受け入れるだろうし、一人でも多くの「なり得たかもしれないもう一人の自分」と出会いたいと思います。

今回のゼミのミニ課題は、「雨のラブストーリー」というお題で、ミニシナリオを書くことでした。色々な形の愛が展開されていて、とても読み応えのある作品ばかりでした。

ラブストーリーって、一見手っ取り早くで簡単そうに見えますが、実はとっても難しいのです。単純に「好き」だの「愛している」だのと言葉を連ねても、ただそれだけでは何の説得力も持ちません。

もちろん他の感情を表現する時も同じことが言えるわけですが、その中でも、日本人がラブストーリーを書くということは、なかなか勇気の要る行為だと思うのです。「僕は死にません!」なんて台詞、普通の生活の中ではまず出てこないですからね。

そういう意味でも、今の自分では言えない愛の言葉を、「なり得たかも知れないもう一人の自分」にささやいてもらう。そのためには、人生の座標軸をいつもより意識的に大きく「ずらしてやる」必要があります。ただ、ずらし過ぎると嘘くさくなるし、素に近すぎると、恥ずかしくて場当たり的な言葉しか出てきません。このさじ加減が、いつも以上に繊細に求められるのです。

最初の質問に戻りますが、僕がこの場で書いているブログは、基本的に日記ではないので、半分は即興で思いついたことを書いていますが、もう半分は意識して座標軸を「ずらして」書いています。そうすることで、「ワタシ」という人格を保ちながら、それでいて「なり得たかもしれないもう一人の自分」と出会えるんじゃないかと思っています。

追記
シナリオでも小説でも、出てくる登場人物は、作家の代弁者ではありません。それぞれに、それぞれの人生というものがあって、一つの世界を構築しています。作家の仕事は、それぞれのキャラクターに命を吹き込むことです。よく「役が一人歩き始めた」なんて言葉を使うのですが、そうなったら、作家は交通整理だけして、あとはそのまま歩かせてあげればいいのだと思います。


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