英語

at the top of one’s voice

$こうたろう.com
:I shouted at the top of my voice when I saw a snake.
:The girl cried for her mother at the top of her lungs.

久しくスタジアムへ足を運んでいません。

シーズン開幕前に、ネーム入りのレプリカユニフォームを注文し
目標であるJ1昇格へ向けて、全力でサポートするつもりでいたのに。

あ、我らが栃木SCの話です。

そのネームと背番号12が印刷されたレプリカユニフォームは
トレーニングマッチを観に行ったあと
出待ちをして、選手にサインをもらい、部屋の中で飾られています。

僕は、聖地グリスタへ行くと、ゴール裏のサポータ席に向かい
試合中は、ひたすら応援歌を歌っています。
だから正直、試合内容はよく分かっていません(汗)

帰宅後に、録画しておいた試合をもう一度観て、それで内容を確認します。
つまり同じ試合を、同じ日に二度観ます。
それだけ熱がこもっているということです。

スポーツにしろ音楽にしろ、ライブに勝る楽しさはありません。
あらん限りの声で叫び、選手や歌手と一体になる。
何度味わっても、こればかりはやめることができません。

きっと人間は叫ぶ動物なんですよ。
本能的に。
だって赤ちゃんは、全身を使って意思表示しますからね。

なまじ言葉なんて覚えちゃうものだから
この原始的な感覚を忘れてしまうのかも。

ついでに補足しておくと
赤ちゃんはどんなに大声で泣き叫んだところで
声が枯れるということはありません。
というか、そんな赤ちゃん、見たことがないです。

ところが、発声訓練をしないで、唐突に叫ぶと
大抵の大人は喉をつぶし、声が枯れます。

この辺の身体のメカニズムなんかもね、調べると結構面白いのですよ。

補足をもう一つ。
人間は本当に深い悲しみに遭遇した瞬間は、決して叫びません。
叫ばないというより、声が出ないのです。

なにが目の前で起こったのか、把握するまでに時間がかかります。
この把握している間というのは、頭が真っ白で無駄に沈着で
言葉なんて探している場合じゃないのです。

お通夜や告別式で泣き崩れるのは、身内より関係者の方が多いと思います。
深い悲しみに出会った当事者は、すべてを理解した時に初めて
体の内側から沸々と悲しみがわき出てきます。

それが、外にこぼれる時に、嗚咽だったり叫び声に変わっていくのです。
だから親しい人を亡くして、涙が一つもこぼれない自分は薄情なんじゃないかとか
そういうことは考える必要はまったくないと思うのです。
時間と共に、あとから嫌でも負の感情が押し寄せてきますから。

話は戻りますが、人間のDNAに叫ぶという項目が本当に備わっているとしたら
きっとかつて限りなくサルに近かったころ
求愛活動も、この声で相手に想いを伝えていたのかもしれません。
声で、というより、声に想いを乗せて。

心理学的に言うと
言葉より、身振りやしぐさ、表情の方が、何倍もの情報を伝えているのですが
たとえそうだとしても、やっぱり言葉の力を信じています。

ここで言う言葉とは、話し言葉のことです。
書き言葉は、それはそれで味わいがありますが、別の作業になります。

脚本は、状態を書く。
小説は、状況を書く。
この違いです。

どちらにせよ、ボキャブラリーが豊富な人になるよりは
一つ一つの言葉に、言霊が宿っている人の方が何倍も魅力的ですよね。

はい、気をつけます。


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